アスペルガー症候群とサイコパスは、どちらも社会との関わり方に特徴が見られる状態ですが、全く異なるものです。
アスペルガー症候群(ASD:自閉スペクトラム症)は、発達障害の一種で、主にコミュニケーションの困難さや、特定の興味への強いこだわりなどが特徴です。
アスペルガー症候群(ASD)はかつて4つのタイプに分類されていましたが、症状の現れ方が人それぞれ多様であったり、年齢や環境によって変化することなどから、現在は自閉スペクトラム症(ASD)という診断名に統合されています。
アスペルガー症候群(ASD)の特徴
- コミュニケーション: 相手の表情や言葉のニュアンスを読み取るのが苦手で、会話がぎこちないことがあります。また、非言語的なコミュニケーション(身振り手振りなど)も苦手とする場合が多いです。
- 興味の対象: 特定のことに強い興味を持ち、そのことについて深く掘り下げたり、繰り返したりする傾向があります。
- 感覚過敏: 光や音など、五感への刺激に過敏に反応する場合があります。
- 社会性: 社会的なルールや暗黙の了解を理解するのが難しく、対人関係で苦労することがあります。
- 共感能力: 他人の気持ちに共感するのが苦手ですが、決して意図的に人を傷つけようとしているわけではありません。
「サイコパス」という言葉は、一般的に、共感能力の欠如、操縦性、衝動性、浅薄な感情などを特徴とする人格を指します。他人への共感や罪悪感が薄く、自分の利益のために他人を平気で利用したり、傷つけたりする可能性があります。
サイコパスの特徴
- 共感能力の欠如: 他人の感情を理解したり、共感したりすることが非常に難しい。
- 良心の欠如: 他人を傷つけたり、社会のルールを破ったりしても、罪悪感や後悔の念を感じにくい傾向がある。
- 操縦性: 巧みに嘘をついたり、人を騙したりして、自分の目的に利用しようとする傾向がある。
- 衝動性: 計画性のない衝動的な行動をとることが多く、衝動的な犯罪に巻き込まれる可能性も高い。
- 浅薄な感情: 喜怒哀楽が表面的で、深い感情を経験することが少ない。
- 自己中心的: 自分のことしか考えず、他人のことを顧みない。
- 魅力的な外見: 表面的には魅力的な人物に見え、人を惹きつける力が強いことがある。
サイコパスは、映画やドラマ、小説などで「サイコパス」という言葉が頻繁に使われるため、一般に広く知られるようになりましたが、映画等で犯罪者として描かれる多くは『反社会性パーソナリティ障害』 (精神医学の診断基準に記載されている正式な診断名。他人の権利を侵害する行為を繰り返し、罪悪感や後悔を感じにくいことが特徴)で、サイコパスと反社会性パーソナリティ障害は、多くの共通点がありますが、必ずしも一致するものではありません。
サイコパスは、反社会性パーソナリティ障害よりも、より広範な概念であり、内面的な特徴(共感能力の欠如など)を重視する傾向があります。
また、
- マキャベリニズム: ニコライ・マキャベリが提唱した、目的のためには手段を選ばないという考え方を持つ人のことを指す。権力欲が強く、冷酷で計算高い性格が特徴。
- ナルシシズム: 自己中心的な考え方や行動が特徴で、他人を利用したり、傷つけたりする可能性がある。
- サディズム: 他人を苦しめることで快感を得ることを特徴とする性的な嗜好。
これらの概念は、それぞれがサイコパスの特徴の一部を説明するのに役立ちます。
- マキャベリニズム: サイコパスは、自分の目的を達成するために、嘘をついたり、人を操ったりするなど、マキャベリ的な手法を用いることがあります。
- ナルシシズム: サイコパスは、自己中心的で、自分のことを過大評価する傾向があり、ナルシシズムとの共通点が見られます。
- サディズム: 一部のサイコパスは、他人を苦しめることで快感を得るというサディスティックな傾向を示すことがあります。
人間のもつ暗い側面を表す3つの性格特性(マキャベリニズム、ナルシシズム、サイコパシー)を『ダークトライアド』、ダークトライアドにサディズムを加えて『ダークテトラッド』と定義する概念もあります。
また、ホワイトカラーサイコパス(一般的にサイコパスとされる特徴、つまり共感能力の欠如、操縦性、自己中心的といった性格を持ちながらも、高い知能や社会性を駆使して社会的に成功している人)や、エンパスの対となるダークエンパス(認知的共感力が高く、共感的な態度をとるが、他人の感情を操ることを目的とし、エネルギーを吸い取るような、非常に自己中心的人物を指す)などの概念もあります。
これらは、あくまでも概念です。
アスペルガー症候群(ASD)は発達障害の一種、反社会性パーソナリティー障害は精神疾患の診断名、サイコパス等は概念。
これらを用いて、誰かにレッテルを貼り、安易に人を判断する材料にして欲しいのではなく、周囲にこのような特性を持った人がいた場合、どのように対応するか、またどのように自分自身を守るか、すでに影響を受けてしまっている場合は、自分自身に何が起こっているか(共依存や自己肯定感の低下等)に気づく材料にして欲しい。
アスペルガー症候群(ASD)の身近にいる人が抱える心の苦しみは『カサンドラ症候群』と呼ばれますが、サイコパスと関わることで生じる苦しみについては具体的な名称は定まっていないようです。
アスペルガー症候群(ASD)も、サイコパスの特性も、遺伝や脳の機能、環境等の要因が複雑に絡み合っていると言われています。
『コミュニケーションが苦手』『共感能力が低い』ことが大きな特徴と言われているアスペルガー症候群もさらに、後天的な要素で、例えば『自己愛性パーソナリティー障害』が重なった場合、「尊大な態度」「支配的な言動」などさらに複雑な状態になったりします。
このことから『カサンドラ症候群』と呼ばれる状態が、より多様な問題を抱えることにもなり得ます。
この世界で生きていく中で、『どうしてこういうことをするのか、理解できない』と感じる人は一定数存在します。
多くは、子どもの時にどのような環境で育ってきたか、どのような概念や固定観念を持った親の姿を見てきたか、どのように扱われてきたか、そしてそれらをどう受け取り、どう判断して自分自身の中に取り入れてきたか、または拒絶してきたか、に大きく影響を受けるかと思います。
その中にはさらに一定数、発達障害や脳の機能障害など、先天性の特性を持つ人もいます。
また、後天的な経験の影響、子どもの頃の経験だけでなく、思春期や青年期以降の経験も、人格形成に大きな影響を与えます。
社会環境の影響として、家族だけでなく、学校や地域社会、文化的な背景も、個人の価値観や行動に影響を与えます。
ただ、 同じ経験をしたとしても、人によってその解釈は様々です。
『理解できない』と感じる人を目にしたとき、対峙したとき、自分自身がどのように感じているのかを観察することは、自分自身の持っている価値観・固定観念・影響を受けている概念、を再認識できる機会にもなります。
例えばコンビニでキレているお客さんがいたとします。店員さんの態度や、ミス、商品の不具合等でキレているのだとして、なぜ大声を出さないといけないのか、なぜそんなに怒りをあらわにしなければいけないのか。
その客はとても自己肯定感の低い人で、自分に自信がないがゆえに、反射的に『バカにされた』ように感じ『人をバカにしやがって』等の怒りに変換されたのかもしれない。
または、自己肯定感が低い(自信がない)ことにより自己愛性が強くなっていて、他人を軽視してしまっているのかもしれない。
そして、自己肯定感の低さゆえに、自分の弱さや不安を隠すために、強気な態度や攻撃的な言葉で相手を威嚇しようとしたり(自己防衛)
注目を集めたり、周囲から認められたりすることで、自分の存在価値を感じようとしたり(承認欲求)
抑圧された感情を、攻撃的な行動によって爆発させ単にストレス解消をしようとしているのかもしれない。
それが、一時的な感情の高ぶりによるものなのか、日常的にそうなのかはその場面だけではわからず、今、その人が置かれている状況(その場面以外で)、過去にどのような経験をしてきたのか、どのような環境で育ってきたのか、どのような特性を持っているのかは誰にもわかりません。
実は、本人も自分が『過去の経験により自己肯定感が低くなっていて、傷つくことを恐れている』等まったく認識できていないかもしれません。
そういう人を見かけたときに、自分はどう感じるのか。店員さんや周囲の顧客に不快な思いをさせるような行動を見て、ただ怒っている人だと決めつけてしまうのか、それとも、その人の内面や背景にある複雑な心理状態に目を向けることができるのか。
目の前の出来事に、自分がどのような意味付けをしていくのか、どのような感情をわかせるか、どのようにジャッジしていくか、そしてそれに気づいているか。『周りの人は自分の鏡である』とは、目の前の人、状況がそのまま自分であるということではなく、「自分自身の中に、同じような感情や考え方が潜んでいることに気づくことができる」ということです。
コンビニでキレているお客さん、ひとりだけを見ても、人の言動、感情の動きの背景はさまざまで、目に見えている部分だけで判断するのはとても…ある意味、悲しいことだと私は感じます。
誰かを表面的に捉え、レッテル貼りやジャッジをすること、さらには誹謗中傷等で攻撃することは、そのまま、自分自身が誰かに表面的に捉えられ、レッテルを貼られ、ジャッジされ、時には誹謗中傷等で攻撃されることに繋がるのではないかと感じます。
自分自身、過去にしてきた経験、育ってきた環境、本来生まれ持った性質、それらによりどのような特性を持っているのか。どのような場面でどのような感情がわき、それにどのように支配され振り回されるのか。周囲の人、物ごとを『理解する』のは難しくても、『理解しよう』という目線を持つこと、心持ちでいることが、自分自身を理解することに繋がり、自分自身を深く理解することで、やがてそれが周囲への理解に繋がっていくのではないかと、私は…願っています。
アスペルガー症候群(ASD)や、サイコパス等の話の中に、このような話を盛り込んだのは、『レッテル貼り』や『ジャッジ』等を手放して欲しいからです。自分自身の親が、アスペルガー症候群(ASD)やサイコパスの特性がある場合、その環境で育った子どもの多くが心に深い悲しみや痛みを抱いていることでしょう。
特にエンパスのような高い共感性を持っている子どもは、自分の持っている感性と相反する親とのコミュニケーションの難しさや、自分の価値観とのギャップに苦しみ、心に深い傷を負い、絶望的な感覚に陥ることもあります。
虐待やネグレクトといった状況下では、さらに絶望的な想いを味わい、大きな心の痛みを抱える場合もあるでしょう。
理解できない親の言動に苦しみ、自己肯定感が低くなり、自分自身を責めたり、親を憎んだり、周囲の人を傷つけるような行動に出てしまうかもしれません。
そうして心を閉ざして、自分自身の意思、感情、価値観等を自分で理解することが難しくなってしまい、望まない形で、それらをあるいは自分自身に、あるいは周囲の人に(主に自分より立場の弱い存在に)向けてしまい、いつの間にか、自分自身や周囲の人を傷つけることになる可能性があります。
だからこそ、まず、知ること。『理解する』ための知識を模索してみること。自己啓発と呼ばれる分野には、様々な考え方や手法(悟りとか、キラキラ系スピリチュアルや、ふわふわ系・ワクワク系引き寄せとか…)が存在しますが、それらすべてが自己理解に役立つとは限りません。
自分の本質を求めているようで、自分自身から目をそらされるような物事は一旦脇に置いておいて、哲学、心理学、精神医学など、より根源的な問いを追求する学問から得られる知見は、自己理解を深める上で大きな助けとなるはずです。
知識を模索するのが難しいと感じたら、ただ、自分自身をより深く見つめる内観を試してみてください。
世の中に、理解に苦しむさまざまな人や状況があるときに、『どうしてそのようになったのか』『その背景に何があるのか』目に見えていない部分を見えるように、感じられるように、本当の意味でも共感性を高めること。
そして、自分自身から、例えば戦争に繋がるような要素『争い』『否定』『批判』etc…を無くして行くことが、平和というものの本当の実現に向けて、誰でもが取り組める第一歩だと、私は思っています。
己を知ってから、引き寄せや悟り系、さまざまなスピリチュアル、宗教等、この世界の仕組みに目を向けてみると、同調圧力に流されることなく、自分自身が望む、自分自身の在り方が見えてくるはずです。そして、知識としてでなく、俯瞰して物事を見る(全体像を捉え、物事の本質を見抜く)ということを感覚として体現していることでしょう。
私自身、『どうして自分だけがこんなに苦しまなければならないのだろう』と、絶望感に打ちひしがれていた頃は、自分と向き合うことなど、到底不可能に思っていました。ただ、経験してきたからこそ、自分に向き合うことでしか、その苦しみからは逃れられないと知っています。
さまざまな出来事の原因や要因は、外にあるように、見える。でも、それを解決して乗り越えていくには、自分軸で生きるには、外に責任を求めていては、一歩も前に進みません。大切なのは、自分自身の心の奥底に目を向け、何が自分を苦しめているのかを理解することです。
理解できないものを理解しようとする想いが、自分自身を変えていくのかもしれません。だから、さまざまな要因を知識として知って、その背景を『理解しよう』とすることだけは、諦めないで欲しい。
その想いで、自分の学んできたことをシェアしています。人生も経験もシェアしていく予定ですが、『毒親に死ねとか言わないで(泣)』という気持ちで始めたブログなので、偏ってしまってるし、堅苦しいです…꜆꜄꜆꜄꜆
誰かの心に届いたらいいな。
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