皆さんは、自分の思考、そして口にする言葉を大切にしていますか?
『言葉には魂が宿ってるんだよ』と、子どもの頃の私に教えてくれたのは、祖母でした。
言葉に霊力が宿っており、その言葉を発することで現実が変化すると信じる思想は言霊信仰と呼ばれています。日本古来の信仰で、古事記や日本書紀にもその痕跡が見られます。
言霊信仰の考え方
- 言葉は霊力(力)を持つ: 発せられた言葉は、単なる音ではなく、現実世界に影響を与える力を持っていると考えられています。
- 良い言葉は良い結果を、悪い言葉は悪い結果をもたらす: ポジティブな言葉は良い出来事を引き寄せ、ネガティブな言葉は悪い出来事を引き寄せるという考え方です。
- 祝詞や呪いの言葉: 祝詞は神様に捧げる言葉で、良いことを祈るために用いられます。一方、呪いは相手に悪影響を与えるために用いられる言葉です。
- 万物の名前には意味がある: 万物にはそれぞれ名前があり、その名前には意味や力が込められていると考えられています。
言霊信仰が生まれた背景
- 自然現象への畏敬: 古代の人々は、自然現象を神々の働きと考え、自然を司る言葉には特別な力があると信じていました。
- 言葉の力への気づき: 言葉によって人々の感情や行動が大きく左右されることを経験し、言葉の持つ力に気づいたと考えられます。
- 社会の安定と秩序: 良い言葉を発することで、社会の安定と秩序を保とうとしたと考えられます。
言霊信仰が現代に与える影響
- 言葉の大切さへの意識: 言霊信仰は、言葉の持つ力に対する意識を高め、コミュニケーションの重要性を教えてくれます。
- ポジティブな思考の大切さ: ポジティブな言葉を発することで、より良い未来を創造できるという考え方は、自己啓発の分野でも取り入れられています。
- 言葉の選び方: 日常生活の中で、どのような言葉を選ぶかが、自分自身の人生に大きな影響を与えるという考え方は、多くの人々に共感されています。
また、言葉にはしなくても、思っただけで口にしたのと同じことだ、という考え方もあります。
- 潜在意識の力: 言葉に出さなくても、心の中で強く願ったりイメージすることで、現実が変化すると考える人もいます。これは、潜在意識の力やアファメーションの考え方に通じるものです。
- 思考の現実化: 思考が現実化する、という考え方と関連しており、思考が言葉になる前に、既に現実創造の力が働いていると考える人もいます。(『思考は現実化する』というナポレオン・ヒルの本は有名ですね)
- 言葉の限界を超える: 言葉には表現できない感情や概念も存在し、思考は言葉よりも広範囲なものを捉えられると考える人もいます。
昨今、『引き寄せの法則』がとても有名ですが、スピリチュアル的な『引き寄せの法則』、成功哲学的・心理学的な『思考は現実化する』、そして古来からの『言霊信仰』は、いずれも人間の思考や言葉が現実を形作るという共通の概念を持っています。
私自身、『言葉には魂が宿る』と信じて、口にする言葉にはとても気をつけて生きていましたが、『思うことは口にすることと同じこと』と知ったときには、『思わないなんて無理だ!』と愕然としたのを覚えています。
当時の私の頭の中には、社会の理不尽さや、『悪』『闇』のような存在への嫌悪感、理解し合えない親への、また自分自身への、あらゆるネガティブな感情が渦巻いていたからです。
ある時期は、アファメーションを唱えたり、マントラを唱えたり、瞑想をしたりして、自分自身のネガティブな感情や思考、固定概念、固定観念等と日々向き合っていました。その後も、ひたすら内観の日々です。
でも、1番の学びは、常に日常生活の中にありました。もちろん、今もそうです。
最近、久しぶりにあった学びの機会(日常生活での悩ましいトラブル)をきっかけに、ネットサーフィンをしていました。
その中で、昔縁のあったある心理系の先生(教祖さま?)が引退したことを知り、そしてまた別な心理学系が立ち上がっていることを知りました。
興味を持って、その方のブログを見ていたのですが、あまりにも強烈な言葉を見かけて、切なさのようなものを感じていました。少し目にしただけではわからないので、昔の記事とかにもそれなりの数、目を通しました。
言わんとすることは、わかります。が、あまりにも言葉が荒々しすぎて…例えば、親(時には相談者自身)を『ゴミ』と呼んだり、母親に想いをぶつけるやり方が、『死ね』等の呪いの言葉を投げかけることだったり…
相談者さんはコメントに『親と言葉の殺し合いをした』と書いたりもしていました。
それは、もう、本当に殺し合いだし、呪いですよね。『人を呪わば穴二つ』いつか、自分に返ってくるもの。
そこには『毒親に育てられた』『母親を理解するのは不可能』と、機能不全家族の中で悩み苦しみ育った人が多いように感じました。
否定され続けて、愛情を感じられなくて、程度は違えどそれでも愛されたくて、認められたくて、頑張ってきたんですよね。だから、その反動で憎しみが湧いてしまったのかもしれない。
それでも、『人に言うことは、自分に言うこと』なんです。つらいけど、人を変えることはできなくて、変えられるのは自分だけなんです。
親のことも『理解なんてできない!』と思えば理解できる日は来ないし、『理解なんてできない!』と思いながら心の奥底ででも『それでも理解したい』という想いがあれば、潜在意識は、それを叶えてくれます。
私は『理解できない』『理解したい』でせめぎ合いながら、それでも…(私自身は子どもの頃からの習慣や感覚で、怒りや憎しみに取り込まれることが少なかったり、言葉を発することはしなかったりしていたのだけど)…母親を『理解できる』ようになっただけでなく、『理解し合える』ようになりました。
アスペルガー症候群の母と兄、戦災孤児で愛を知らない父、そしてエンパスの私という家族。
ある時期は、まるで宇宙人と話してるようだと感じていましたが、今は(父は他界したけれど)、人として向き合えるようになりました。
そのブログを目にして、苦しんでいる人に、さらにネガティブを引き寄せて欲しくないと強く思いました。私の経験してきたことをシェアすることによって、誰かの心が憎しみ等から解放されるお手伝いになればと願っています。
まずは、自分が発する言葉から、意識を向けてみませんか?
我慢して想いを飲み込めとか、そういうことではなく、気持ちを伝える方法はいくらでもあるということ。本当にそのやり方で、自分は望む在り方に近づいているのだろうか?問いかけるのは、いつだって自分自身に、です。
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