目には見えない世界の住人

はじめまして。凜です。

元スピリチュアルジプシーです(笑)

私は、今で言うと『エンパス』と呼ばれる特性を持っているようです。

HSP(Highly Sensitive Person、繊細すぎる人)という言葉が注目されるようになり、それに伴い、より共感力が高く、感情やエネルギーに敏感な人を指す『エンパス』という言葉も広く知られるようになりましたね。

一昔前は、ただ『感受性の強い子ども』と言われ、霊感があり、共感しすぎる『おかしな子』と言われていました。

同じような感覚で生きている(と感じる)人には、会ったことがないと思っていたけど、インターネットが普及してみると、世間にはたくさんの、HSPやエンパスと呼ばれる人がいることを知りました。

でも、、よく目にする『エンパス』という定義やカテゴライズでは、説明できない自分の特性があります。幼少の時に見ていた世界、わたしの持っている世界観と、この世界(社会?)への違和感とか。

4歳くらいから、『わたしはなんでこんなとこにいるの?』と思っていたり、星を見ながら『帰りたい…』と泣いていたりしました。

『普通』になりたい、と頑張ってみても、どこかズレていていじめられていた日々。

『別にいい』『私は大丈夫』と強がっていた日々。

親の価値観を押しつけられることに反発しながらも、認められたくて頑張っていた日々。

否定され続けて壊れていく心。

通じない言葉、通わない心、重すぎる罪悪感。

大人への幻滅。

社会への幻滅。。

高すぎる自らの倫理観に押しつぶされていく日々。

わたしの見ている世界は、誰にも見えなくて

わたしがこの世界の異物だと感じて

鬱になり、境界性パーソナリティ障害と呼ばれて

誰かに必要とされたくて、恋愛依存に陥ったり

自殺未遂を繰り返したり…

波瀾万丈な20代を生きてきました。

30代で子どもを授かり、離婚してシングルマザーになって、何度も逃げ出していた実家に帰ってからの日々。

子育てを通じての自分の変化。孫が生まれての父の変化、変わらない母(笑)

心理学や哲学、精神医学を学んだ日々。

母と兄が『アスペルガー症候群(ASD)』だと気づき、『どうしようもないことだったのか』『分かり合える日が来ることはないのか』と悩んだ日々。

そしてさまざまな種類?のスピリチュアルに翻弄された日々。

『わたしは、何なのか?』の答えが知りたくて、ずっと彷徨って来ました。

どんな状況でも、『自分のこと』しかなくて、『自分がかわいそう』で『自分が大変』で『自分が頑張ってる』と主張して、否定ばかりしてくる母に苦しみながら、それでも『理解したい』ともがいていました。

そう、わたしは、人を責められません。

鬱の薬を飲んでいた時は、消えた記憶も多いけど、かなり人格破綻していた自覚があります。

でも、ちゃんと意識のあるときには、わたしの攻撃性はわたしにしか向きませんでした。

そして、鬱を克服して、沼から這い上がって、自分の存在を認め、赦した今は

『怒り』という感情もわからなくなって(人からのエネルギーとしては感じるけど)

ただ、子どもの頃のように、相手の表面の感情等の奥にあるものを見、子どもの頃にはわからなかったその背景を理解できるようになったので、怒ってる人の中の哀しみや寂しさとか、どうしてそうなってしまったのかとか、本人は自覚してなくても感じ取ってしまったら、怒ったりとかできない。。

という感覚になってから、母を許すことはできたのだけど『理解し合う』ことは無理なのかな?と距離を置いていた日々。

わたしの世界には次々に、母のような人が現れて…

最終的には、何も感じ取れない、『中が空っぽ!』と感じる人にまで出会って(初めて認識したサイコパス)

『あぁ、ほんとに母には他意も悪意もなかったんだな』と、改めて認識させられることになった出来事により、母と完全に和解ができたんです。

わたしの見てる世界は、わたしにしか見えなくて

母の見ている世界は母にしか見えないけど、わたしはそれを追体験できるから。

本当の意味で、理解できるのは、わたししかいないでしょう。くらいの気持ちで

だからこそ?最近よく聞く『毒親』とかいう言葉(作者はそんな悪い意味で使ってないけど)とか、最近あるブログで、親のことを『ゴミ』とか、『死ね』とか、そんな…言葉を

目的地は違うとしても、理想の結果に向かう過程なんだとしても

そんな言霊とか、念とか、発してたら結局自分が苦しくなるだけなのにって思って見てたら

こんな自分の人生でも、暴露したら誰かの参考になったりするのかな?と

こうして、書き始めてみました。

わたしの見てる世界を見てる人がいたらいいなぁとも思いつつ。

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