「毒になる親」という言葉が広く知られるようになったきっかけは、スーザン・フォワード博士の著書『毒になる親』です。この本は、1989年にアメリカで出版され、日本でも翻訳・出版されて大きな反響を呼びました。
『毒になる親』で描かれていること
- 毒親の特徴: 過度の支配、否定、無視、感情的な虐待など、子どもに悪影響を及ぼす親の行動パターンを具体的に解説しています。
- 毒親の影響: 毒親に育てられることで、子どもが抱える心の傷や、大人になってからの人間関係への影響など、長期的な影響について詳しく述べられています。
- 回復への道: 毒親から受けた心の傷を癒し、健やかな人間関係を築くためのヒントや方法が示されています。
多くの読者が、自分自身の経験と重ね合わせ、共感できる内容だったことで注目を集めていたようです。自分の抱えている問題の原因が、過去の親との関係にあると気づくことで、自己理解を深めるきっかけとなった人も少なくないでしょう。
しかし、『毒になる親』の出版以降、「毒親」という言葉は、広く世の中に知られるようになり、その一方で、言葉が偏った意味で認識をされたり、安易に使われるようになったりと、本の内容に関係なく、「毒親」という目に見える言葉のイメージで、言葉が独り歩きしているような印象を受けます。
自分の苦しみを他人に理解してもらいたいという気持ちから、過度に「毒親」という言葉を蔑視しながら使用している人もいるかもしれません。
「毒になる親」という言葉は、多くの人々に共感と勇気を与え、自己理解を深めるきっかけを与えた一方で、言葉の乱用や親子関係の悪化など、さまざまな問題も引き起こしているようにみえます。
この言葉を多用した、一部の心理学もまた然り、です。
この本を参考にすると、私の両親も「毒になる親」だったと思います。実際に、私は11歳の時には死を望むくらいに、『私は生まれてきてはいけなかった』と思い込んでいたし、20代の頃には精神崩壊して何度も自殺未遂を繰り返していました。
鬱で死んだように過ごしていたり、突発的に自死行為をしていた私の世話をしてくれていたのは、祖母や母だったはず(記憶がない)ですが、迷惑をかけている実感はあっても、『許す』ことはできない、と、当時は思っていました。
同じ空間にいるだけで、トラウマが蘇って体調が悪くなったり、言葉を交わすと、何気ない会話で心をえぐられたり…と、『同じ人間とは思えない』と、いつも思っていました。
でも、それでも、『母は毒親でした』とは、言いたくなかったし、言えなかった。
私は、小さな時から、目に見えない世界のことを知っていたし、人生の途中でそれらをすべて忘れてしまうような、自分を見失って生きてきた時期もあったけど、自分を殺したいくらいつらい日々でも、ネガティブな想いを消せなくても、言葉に想い(念)を乗せることはしたくなかった。
大好きな祖母からの教え『言葉には魂があるんだよ』を守りたかったから。
単に、ネガティブな言葉を発することで、罰を受けることが怖かったのかもしれません。自分に返ってくることも恐れていました(消えてしまいたいと願いながらも)
子どもを授かって、産んで離婚して実家に帰って、またこれでもかと傷を増やしながら
子どもの笑顔に支えられて、『私も生きてていいのかな?』と思えるようになった頃
和解して仲良くなった父が他界し、翌年には大好きな祖母が他界し、母と私と息子の3人暮らしになった時期の葛藤(学び)の日々。
さまざまな学びをしながら、母を理解したくて学び続けて『アスペルガー症候群』という言葉にたどり着いたときの、さらなる葛藤…
『全部、母の性格のせいではなかった!』
本当に、悪意なく、本当に認識もなく、あんなことを言ったりしてたりしたんだ。だから、覚えてなくて、自覚もなくて、『あんたが勝手に傷ついてるんでしょ』とか言われてたのか…
母にも、理由があったのか(もう少し踏み込んだ理由は、その後少しずつ母との会話も含めて知っていきましたが)、だからと言って、この記憶の痛みを今はまだ消せない。
母のひと言でフラッシュバックしてくる、反応してしまう。痛くて痛くてたまらない。でも、子どもにはこんな自分を見せたくない。
私は、『今は時間が欲しい』『わからないかもしれないけど、まだつらいから』と母に伝えて、母と距離を置いて生活することを選択しました。
私はそもそも、怒りや攻撃性が外には向きにくくて(明らかに理不尽な言動をする大人は無視したりしてたかも…)『観察』している子どもだったせいもあるのかもしれないけど、祖母の教えもあったので、誰かに対して、『死ね!』等の発言をしたくなる、その気持ちはわからないのかもしれません。
子どもに対しても、感情がコントロールできない(主に悲しみ)と感じたときには、子どもをどこかに閉じ込めるのではなくて、『ちょっと、ママ落ち着くまで待ってて!』と、自ら部屋に閉じこもったりしてました。
私の胸の中には、『子どもには、子どもの頃の私みたいな思いはさせたくない』という想いしかなくて、感情のコントロールができないときは、自分を責めてめちゃくちゃに凹んで、それによって子どもに心配をかけてしまう…ということが多かったです。
今日の話の流れで表現するならば、毒親になりたくなかった、というのもあるし、『このファミリーカルマを私で終わらせるんだ』みたいな気持ちもありました。
よく言われていた、『虐待されて育った子どもは、虐待する親になりやすい』私は、そうなりたくない、と必死にあがいていました。
子どもが生まれて、初めて母親になるのだから、母親も母親として、子どもと一緒に育つのだから、完全な母親にいきなりなるなんて無理なのに、自分に求めるものが大きかったんです。
私の子育ての話は、またゆっくり書いていこうと思っています。
毒親の子どもは、毒親になりやすい。。
そして、毒親になってしまったと自覚してしまった人が一定数いて、自分を責めているのも目にしました。
自分は、母親のようになりたくない。その気持ちはとてもよくわかります。
ただ、その一定数の人が、『自分は毒親である母親を許さないけど、私が毒親として傷つけてしまった子どもたちは、自分のことを許してくれるだろう』…と思っているのかな…と…
毒親である親と言葉の殺し合いをしても、我が子は自分の気持ちや状況を察して許してくれるだろうと、思ってるから
親に『死ね』って言えるのでしょうか。
- あいつはゴミだから
- 〇〇さんが言っていいって言ったから
あるブログで『あぁ、こいつ(その人の毒親)はほんとに変わらない。ゴミは変わりようがない。それでもこいつも生きてていいんだ』という諦めの境地みたいな発言を目にしました。
自分が傷だらけなのに赦すことは難しいですよね。自分の傷を癒やすのに、自分で向き合わないといけないなんて、自己啓発とかスピリチュアルとか、やってられるか!ってなるかもしれません。
誰かのせいに、しといた方が、うんと楽です。
自分の自己肯定感をここまで下げた本人が、のうのうと生きてるなんて…許せない、と考えてしまうのも理解できます。
自己肯定感が低すぎて自分自身を責めたり、価値がないと感じてしまう段階から、『私は悪くない』と思えるようになる過程で『怒り』の力を借りなければ這い上がれないことも、その過程で『悪いのは私ではなくて〇〇だ』という思いに囚われてしまうことも、あると思います。
ただ、もし今子育てをしていて、『あぁ、自分も毒親になってしまった』と後悔の念を抱いているならば、そういう人ほど、自分の親の状況やその背景を理解してあげられる人だということになります。
『自分が毒親になってしまったのは、毒親に育てられたからだ』と思うのなら
『じゃあ、その毒親が毒親になってしまったのは…』
…毒親に育てられたから、という流れになってしまいますよね。そして、さらにその時代背景や、昔は聞くことがなかった、AC、ASD、ADHD、その他の精神疾患、各依存症など、さまざまなことが影響を与えているかもしれません。(親がサイコパスの特性を持っている場合、さらに状況は厳しいかもしれませんが)
そして、本当は、『親を許せない』『理解するなんてできない』と言っている人も『理解する』ことはできるはずです。頭で理解することだけは。
『この人も、多少なりとも同じような思いをして子ども時代を生きたのだ』と。
理解できないのは、『自分に対して理解を示さないこと』『罪悪感すら抱いてないこと』 『謝らないこと』『私の気持ちをわかってくれないこと』『愛されてると感じられないこと』etc…
その想いの、奥底にある感情は怒りや恨みでしょうか?
あなたの中で膝を抱えているインナーチャイルドは、親に暴言を吐いたとき、嬉しそうに微笑んでいますか?
親に暴言を吐いてるとき、鏡で自分の顔を見たことがありますか?
また、鏡の中の自分の目を見つめて、『私は、〇〇(自分)のことをよくわかってる。毎日、頑張ってるよね。〇〇を誇りに思う。あなたには愛される価値がある。愛してるよ』と心を込めて伝えたことがありますか?
私の母は、戦後生まれです。母の母(私の大好きな祖母)は複雑な家庭に生まれながら強く優しく生きていたけど、母の父(私の祖父)は酒飲みで暴言と暴力のひどい人でした。
私の父は、父親を戦争で亡くし、母親は病気がちで12歳のとき他界、親戚の家で奉公人のように育ったそうです。
その両親に育てられたのが私と兄。
あなたの両親は、どんな人生を送ってきたのでしょうか。
親も傷つきながら生きてきたのかもしれない。それに気づいてなかったり、気づけなかったり、ただ、生きるのに精一杯だったり、したのかもしれません。
『私の親は毒親かもしれない』という気づきは、『私の親も癒やしを必要としているのかもしれない』という気づきも与えてくれます。
そして残念ながら、傷ついている人、心を病んでいる人に、謝罪や癒やしを求めることは難しいです。
だから、私たちは、自分自身で自分を癒して、この負の連鎖を、次の世代に残さないようにできる、これはチャンスなのかもしれません。
苦しみのさなかにいる時には、そんな風に思う余裕なんてないかもしれないけど、『自分の人生』を『自分軸』で生きようと、心が揺れる瞬間瞬間に決意し続けることで世界は少しずつ変わってくると信じて欲しい。
次は、『アスペルガー症候群』と『サイコパス』について、私の体験も含めてまとめてみようと思います。
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